インカジ 摘発

インカジ 摘発

29日の朝、銃撃戦の陣頭指揮を執った少佐はドライゼ銃弾を浴びて致命傷を負い、その日の内に息を引き取っていたのでした

 ヴォジェル少佐に代わった次席指揮官のヴォアライユ少佐は現実的で、翌30日の早朝、普軍砲兵が未だ砲撃準備を行っている内に白旗を掲げます

あなたも好きかも:レインボージャックポッツ スロット
降伏交渉は素早く開始され午前10時に交渉はまとまり、翌12月1日、アミアンの「シタデル」は降伏します

 ゲーベン将軍は約400名の捕虜と各種砲30門、そして多くの要塞装備品を鹵獲しますが、安置されていたヴォジェル少佐の遺体に敬礼し、栄誉礼を以て丁重に葬るよう命じたのでした

撃たれたヴォジェル少佐☆ 1870年11月27日におけるアミアン周辺に集合した仏「北部軍」主力戦闘序列司令官 ※後任着任まで参謀長が代行参謀長 ジャン=ジョセフ・フレデリック・アルベール・ファレ准将砲兵部長 シャロン中佐工兵部長 コッスロン・ドゥ・ヴァルノワジ大佐◇第1旅団 アルフォンス=テオドール・ルコアント准将(前・近衛擲弾兵第2連隊長)○猟兵第2大隊  ジョヴァネリ少佐○戦列歩兵第75連隊・第2大隊 バプティスト・トラモン少佐○戦列歩兵第65連隊・第1大隊 エンドラン少佐○戦列歩兵第91連隊・第1大隊 シャルル・ポール・ドゥ・ギスラン・ドゥ・ボンタン中佐○護国軍第46「ノール県」連隊・第1、2、3大隊 サン=マルタン中佐○野戦砲兵・2個中隊(12門)◇第2旅団 ジョセフ・バルテルミー・グザヴィエ・デロジャ大佐○猟兵第1大隊 ジャン少佐○戦列歩兵第24連隊・第1、2大隊 フランシス・ガブリエル・ピティ中佐○戦列歩兵第33連隊・第1大隊○護国軍第47「ノール県」連隊・第4、5、6大隊 ゴルティエ中佐○野戦砲兵・2個中隊(12門)◇第3旅団 ジョセフ・アルチュール・デュフォーレ・デュ・ベッソル大佐(前・近衛猟兵大隊長)○猟兵第20大隊 ヘックキット少佐○戦列歩兵第43連隊・第1大隊 (不詳)○海軍フュージリア兵・第1大隊 (不詳)○護国軍第48「ノール県」連隊・第7、8、9大隊 デュアメル中佐○野戦砲兵・4個中隊(24門)◇本営直轄○憲兵(騎兵)2個中隊○マルシェ竜騎兵2個中隊○工兵2個中隊○輜重縦列1個○義勇兵若干中隊◇仏北部4県の臨時護国軍集団 ポールズ・ディボイ少将○4個大隊○アミアン市と周辺の国民衛兵

あなたも好きかも:冬ソナ パチンコ
アミアンが陥落し、「元帝国正規軍」将兵を含む仏北部軍を敗退させたマントイフェル将軍は、仏軍がアラス方面へ急速後退したとの斥候偵察を受けると、アティシーで11月20日夜に受領した普大本営命令「ルーアンまで前進せよ」(既述)をそのまま実行することに決し、28日正午、「普第8軍団は明29日、アミアンからポワ=ドゥ=ピカルディ(アミアンの南西26.4キロ)への街道(現・国道D1029号線)上に進み、前衛をクルーズ(同南西11.7キロ)まで前遣するよう、普第1軍団は同日、コンティ(同南南西20.2キロ)方面を目指し、前衛はエセールオー(コンティの東6.7キロ)まで前進するよう、その際普第3旅団に砲兵2個中隊を付けて普騎兵第3師団へ派遣し、フォン・デア・グレーベン中将の隷下とするよう」命じます

同じく普騎兵第3師団に対しては「両軍団に騎兵各1個連隊を送り、第1軍団から送られる支隊と残り諸隊(騎兵2個連隊と騎砲兵1個中隊)でアミアンを守備し、同時にルーアン目指して前進する軍主力の右翼北方と背面を援護してルーアン~ラン(Laon)鉄道を守備せよ」と命じました

この鉄道本線はラ・フェール要塞が陥落したことでランからアミアンまで運行することが可能となっており、この日ラ・フェールから普第4旅団を中心とする諸隊がアミアンに向け鉄道輸送を開始していました

 同日の朝、普騎兵第3師団に出されていた「普第1軍団から架橋資材を譲り受けてソンムを越え北上せよ」との命令は未だ実行されておらず、結果、フォン・デア・グレーベン将軍は無駄な行動をすることなくこの変更された命令の実行に取り掛かることが出来るようになります

 将軍は普槍騎兵第5「ヴェストファーレン」連隊を普第1軍団に、同胸甲騎兵第8「ライン」連隊を普第8軍団にそれぞれ送り出し、残りの諸隊は普第3旅団と合流してアミアン市内に入りました

この時アミアンでは北部のシタデル(城塞)が降伏しておらず、ゲーベン将軍は軍団主力を命令に従って送り出すと、普フュージリア第40「ホーヘンツォレルン」連隊と軍団所属の砲兵諸中隊と共に居残ってシタデル攻略に集中していました(12月1日の開城後に前進)

市内のソンム県庁からは県知事らが逃走しており、占領地の行政を混乱させないため、マントイフェル将軍は自身の軍経理部長チュルヒャー経理官をアミアンに残して仏役人の指揮に当たらせています

※11月28日以降のアミアン守備部隊指揮官 普騎兵第3師団長伯爵フォン・デア・グレーベン=ノイデルヘン中将○歩兵第3旅団  アルベルト・フォン・ブッセ大佐*擲弾兵第4「オストプロイセン第3」連隊*第44「オストプロイセン第7」連隊○槍騎兵第7「ライン」連隊○槍騎兵第14「ハノーファー第2」連隊○野戦砲兵第1「オストプロイセン」連隊・重砲第5中隊・軽砲第6中隊○野戦砲兵第7「ヴェストファーレン」連隊・騎砲兵第1中隊○第1軍団工兵・第3中隊※2、3日後にラ・フェールよりヘッセン=カッセル要塞砲兵第11大隊の第8中隊も到着し、共に運ばれて来たラ・フェール要塞の鹵獲仏製12センチ前装施条カノン砲4門は開城したばかりのシタデルに搬入されて備砲となっています

☆ 11月末のエプト、アンデル川方面 北部軍が創設された頃、英仏海峡に面した仏北西部のノルマンディ地方(マンシュ、カルヴァドス、オルヌ、ウール、セーヌ=アンフェリウールの各県からなります)でも防衛兵力が組織され、これは最終的にブリアン将軍が統括指揮を執りました

 10月以来、パリ北西部のセーヌ下流域に関する普ベルサイユ大本営の関心は高く、ロアール軍の動向と共にこの「ブリアン軍」に関する情報も盛んに集められ、この11月時点では正規軍の戦列歩兵1万1千を含む総戦闘兵員数を約4万3千名、野砲は27門前後、騎兵若干名と信じられており、その主力はセーヌ=アンフェリウール(現・セーヌ=マリティーム)県都ルーアンに在るものと考えられていました

 しかし、これはセーヌ下流左岸(ほぼ南)で活動するフィエレック将軍の義勇兵や護国軍部隊、ペルシュ地方の西で編成中のバンジャマン・ジョレス提督率いる混成部隊(後の仏第21軍団)、そしてアブビル方面の北部軍部隊と混同・情報が錯綜重複した結果の「誇大妄想」で、実際にブリアン将軍がルーアンを中心として掌握していた兵力は戦闘兵員2万2千、砲32門、騎兵若干だったと記録されています

 ブリアン 10月来、独マース軍から派遣されていたヴィルヘルム・ニコラウス・アルブレヒト親王(子息の方)率いる「エプト方面支隊」(普近衛騎兵第2「槍騎兵」旅団中心)は11月25日、マントイフェル軍のアミアン接近に伴い任を解かれ、パリ北部のマース軍包囲網へ召喚されてジゾー(ルーアンの東南東52.3キロ)を去ります

この代わりに北独騎兵第12「ザクセン王国(S)」師団はボーベ(アミアンの南南西54キロ)からジゾーに前進し、パリ包囲網からは普近衛騎兵第3「竜騎兵」旅団(伯爵アレクサンドル・フェルディナント・ユリウス・ヴィルヘルム・フォン・ブランデンブルク少将指揮)がボーベ目指して出立しました

マントイフェル軍がルーアンを目指す事を通告されている独マース軍司令アルベルト・ザクセン王太子は、これら騎兵部隊に付された歩兵諸隊に対し「第一軍の前衛がエプト河畔に到着し次第、任を交代して可及的速やかに原隊復帰せよ」と命じたのでした